自民党幹事長室での被災地視察に参加して

 2011/04/21

 
わが党幹事長室は1000年に一度といわれるかつて経験のない大地震にあたり、被災地を直接訪れ現場を訪れ、現場を直接この眼で見、被災された方々の声を聞き、野党ではあるが実際に政策として実現する決意をした。
 ①4月13日福島県いわき市
 ②4月13日宮城県
 ③4月19・20日岩手県
と、3班派遣することとし、私は①福島県③岩手県の視察に参加した。 
 

1、福島県いわき市

①錦町(小公園)
ボランティア舘敬氏他若い人大勢から、
炊き出し、お年寄りの世話。
水道電気が通っていないのでお風呂に入れない。自衛隊のお風呂を設置して欲しい
との要望があった。
早速防衛省幹部に電話。後日連絡があり、自衛隊の入浴機材は限られており、しかも固定されているので無理、15キロ先にあるのでそこに行って欲しいとの返事をもらった。
15kmといったら昔の4里と等しく、ご年配の方々がどうしたらそこに行くことが出来るのだろうか。
 
②豊間地区被災地
とにかく声にならない。 
TVの映像を通じて多少は覚悟していたが、9mの津波によって600戸のうち80%が全壊していた。
 
③薄磯地区
 


 
 
310戸のうち80人が死亡。不明30人。
かまぼこ工場や魚加工工場が全壊。
住む場所はもちろん働くすべもない。
 
④中央台南小学校避難所
地元県議の方々と230名の被災者の声を聞かせていただく。
 
⑤福島県漁連
野崎哲代表理事会長に状況をうかがった。
1000隻のうち約500隻は何とか残った。
風評被害もあり、出たくても漁に出られない。
組合を通じて当面の生活費を組合員に渡したいのだが。
電気が止まり、冷蔵庫に残っていた魚が使いものにならないので海に投棄したい。
漁具・船の調達をしなければならないと共に起ち上がる為の資金が必要。
原発と共存する漁業を目指していたが残念だ。家族・親戚は原発で働いて収入を得ている人も多いと唇を噛み、悔しさとやりきれなさを押し殺していたように見えた。
 
⑥JAいわき
赤塚代表理事長をはじめ役員の方々より風評被害、塩害、生産者への補償等具体的な話があった。
対策は急がねばと思うと同時に与党でないことにはがゆさを感じる。
しかし、我々がやらねば誰がやるんだと強く思った。
 
⑦いわき商工会議所
いわき商工会議所では小野栄重副会頭をはじめ役員の方々に話を伺った。
ホテルなどキャンセルが相次ぎ、死活問題となっている。
中小零細企業への融資、資金繰りや二重ローン対策など、また、地元企業のトラックなどを活用して欲しいとのこと。
それをうけて以下の要望をうけた。
1、福島第一原子力発電所事故の早期収束
2、風評被害の解消
3、中小企業に対する支援措置の拡充
4、観光事業者に対する支援・補償の充実
5、小名浜港及び小名浜臨海工業地帯の早期復旧
 
  
2.岩手県
  民主党小沢元代表の地元だけにわが党の現職代議士はゼロ。
  党県連会長前衆議院議員鈴木俊一氏(自民党岩手県支部連合会、東日本巨大地震・津波災害対策本部長)の出迎えを受け、事前説明を受けると共に、氏から渡された要請書はまさに被災地として一刻も猶予を許さない、切実な状況・思いが記されている。
 
①岩泉町役場(町災害対策本部)にて伊達勝身町長より
死亡9人・避難者(9箇所217人)当初411人・被害家屋217棟
・岩泉線・三陸鉄道の復旧についての要望
・町税の減税措置を実施すると共に医療費・介護保険料・介護保険サービス利用料の支払猶予等について町でとっている対策について説明を受ける。
 
②岩泉町小本
小本浜漁港等視察
・小本川水門は津波対策の他に海からの逆流を防ぐ為に平成2年に160億円かけて建設された。約12.5m×200mのかつてみたこともない巨大な水門だが、95%の漁船が崩壊された。
・鈴木俊一氏の話によるとこの港湾と漁港・水門を作るのにおよそ50年以上の月日がかかっているそうで、この水門がもし無かったならば被害は一体どれほどののものになったか想像も出来ないとのこと。

・4月中旬にもかかわらず雪・風も強く寒い。

 
③田野畑村役場
  
上机筦治村長
・ワカメ・昆布・アワビ・ウニ・鮭の定置に村の経済がかかっている。500隻の漁船は全滅。アワビについては明治の津波の時は種をまいてから成長するまで4年かかったそうだ。ワカメもこの11月には種まきをしなければならない。
 早く激震災の対象と認め、共済に加入できるようにしてほしい。
鈴木俊一氏
・政府の対応が遅すぎる
・70~80歳のお年よりは村を離れて他県の身内の家に身を寄せている。仮設住宅に入れたとしてもいつかは出なければならない。その際に居住はどうなるのか心配。
出席者の一人
・ある民主党の代議士は村を訪問した際「この地の7つの漁港を一つに出来ないものか」と発言があったとのこと。アワビやウニをとる小さな船が拠点港の宮古に行き来することは出来ない。
 地元の事情を何も分かっていないと怒りをあらわにした。
 役場前で地元の第二師団の第二偵察隊、第二特科連隊など数人の自衛隊員と出会った。「頑張ってください」と固く握手
 

 
④田野畑村島越漁港~平井賀漁港など
三陸鉄道があり、美しい漁港・海水浴などで年100万人以上の観光客で賑わってきた。
三陸鉄道島越駅は階段と線路の足げたの一部を除いて全く跡形も無い。
漁組も何も残っていない。
参事と3人の職員が亡くなられたようだ。
魚のせり市場も跡形も無かった。


    
  

 
  製氷工場は鉄筋の外枠だけ残り、20m以上高い屋根のところに畳が一枚残っている。引き波で運ばれてきたようだ。
  

なぜか宮沢賢治の「発動機船第二」という題の歌碑だけが残っていた。

  
大きなテトラポットが壊れて真っ二つになったり陸に打ち上げられていたりと惨状が目の前に広がっていた。
 


  この港の再興するには先ず船が行き来し、港に入れるように海中に沈んでいる船・車・瓦礫を取り除くことからはじまるのではないか。
  同時に、必要な施策を急いで行わなければならない。
  そして秋には鮭が戻ってくる。漁民が起ち上がる為の生活費、船、網をはじめとする漁具のなども含め早急な対応が必要である。
 
海を見つめる地元鈴木俊一氏も我々も期する。この気持ち
真剣で大きい