5月9日 [寛介]

 今日で総選挙から早くも半年。当初久しぶりの国会に知らず知らずの内に緊張していたのか、時々疲れた表情をしていた代議士も、最近は国会から戻ってくるたびに、どんどん力がみなぎってくるのが分かる。浪人中とは顔の張り具合が明らかに違う。一言で言えば燃えている。当選して半年がたった今、落選中の7年間は父にとって貴重な7年間だったのではないかと改めて思う。僕が生まれた昭和51年、すでに父は旭川市議会議員だった。その後北海道議会議員、衆議院議員に連続当選、正に順風満帆だった。僕が大学2年生の時に初めての落選をした。未成年で選挙活動ができなく、役に立てなかった事が申し訳なくて、何でもいいから役に立ちたいと思い、事務所に入った。まだまだ元気な背中があった。
 次の年、2度目の落選をした。背中が丸くなってしまった。でも二度も落選しているのに後援会の沢山の方たちが、変わらずに応援してくれる。頑張れよと背中を叩いてくれる。心配してくれているからこそ、叱ってくれる、怒ってくれる。父は初心にかえり自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の耳で聞いて様々な勉強をすることが出来た。人の本当の優しさを知る事が出来た。人の気持ちが分かるようになった。皆さんがいて生まれ変わった今津ひろしになることが出来た。僕にとっても同じだと思う。一番どん底だった時、くじけそうになった時、僕が会合の案内をもって行ったら、皆予定があるのにわがまま聞いてくれて、顔を出してくれましたよね。「寛介お前も頑張れよ」と「もっとしっかりしなくちゃ当選できんぞ」と言ってくれました。そのお気持ちに応えなきゃならないと、パワーがわいてきて何とかここまでやってこれましたし、その結果 お一人お一人と太い絆を築くことが出来ました。
 今はただ7年間の経験に、支えてくれた皆さんに「感謝」です。不器用だけど、前へ、前へ、信じて前へ。皆さんと共に今津ひろしは歩んで行きます。

 


5月22日 [寛史]

 防衛庁防衛研究所からの研修会講師依頼を受け、「自民党の抱く国家像と安全保障政策」という題目で講義。かなり専門的な内容である。しかし、日ごろの凄まじい勉強量 と努力する姿を見ている私は、代議士が専門家を前にしていても堂々と話す姿にあまり驚かなくなってきた。落選中も限られた情報量 の中、朝まで一人で熱心に資料の整理する姿はよく見ていたが、国政復帰してからは、さらに拍車がかかったようである。通 常、一日は「部会」と呼ばれる自民党本部での早朝勉強会から始まる。平日朝8時前には駐車場は満車状態、各部会に向かう衆、参議員、関係省庁の役人、報道、秘書でごったがえす。与党自民党の各専任部会において審議される法案は、言わば、国の政策方針に直結する為、各議員と各担当省庁の間で展開される議論も当然、熱を帯びる。部会長を務める国防部会のみならず、地元の皆様のお気持ちを頂いて、国政に参加させて頂いている代議士の背負う責任は全ての部会において等しく、また非常に重い。
 会館到着後、委員会、本会議等の合間を縫って分刻みでの各省庁との打ち合わせ、情報収集、地元との連絡。止まらない、休まない。今、「責任」の二文字が今津ひろしを燃え上がらせる。

 

5月27,28日 [寛史]

 今日、明日の2日間は私にとっての一大イベントである。旭川婦人部積立会の皆様が国会見学ツアーにいらっしゃるのである。代議士の最強の親衛隊である婦人部の皆さんが東京にいらっしゃるとの事を聞き、なかなか旭川に帰る機会が無い私としては、いままでの恩返しをしようとの気持ちで胸を膨らませていた。ある日、所長から今回の旅行の件で問い合わせ。電話の向こうから「ズン、ズン、ズンドコ」と音楽が聞こえてくる。なにやら各班ごとの余興の練習をしているとの事。「相当気合い入っているから、頼むよ、史さん」とプレッシャーをかけられる。27日の夜に宿泊先のホテルまでご挨拶にうかがう。冒頭のあいさつで代議士は「・・・何年ぶりかなぁ。昔は毎年当たり前の様に企画していた旅行会ですが、また東京で皆様と再会することが出来て、感無量 です」と涙ぐんでいる。
 本当に楽しい食事の席を終えた翌朝、私はツアーガイドに転身した。30度の高い気温にも負けず、皆さん頑張って歩いて下さった。昼食時にはさすがにお疲れのようだったが、当日夜、女優の水野真紀さんとの披露宴を控えた後藤田正純先生の登場で再び英気を取り戻す。昼食の後、あるご婦人が私に言った。「後藤田先生も格好良いけど、私はひろしさんのほうがハンサムだと思うよ。」 後援会婦人部の皆さん、本当にありがたく、心強い存在である。