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12月2日 [寛史]

前日に自民党外交関係合同会議で事件についての報告があり、今朝は国防部会。
ざわついた会議室は、議員、秘書、役人、マスコミでごったがえしていた。会議が始まり、亡くなった二人の外交官に対して黙祷を捧げた後、自衛隊派遣問題を中心に我が国の対応について協議・意見集約を行った。平然を装い淡々と部会を進行する代議士の表情の裏側には深い悲しみと怒りが見え隠れしていた。

 

12月3日 [寛史]

代議士と外務省に行き、正面玄関に据えられた二人の外交官の祭壇に弔意を記帳する。
手を合わせるその後姿は国防部会長として、テロ根絶へ強い決意を二人の故人に対して約束しているようであった。

 

12月4日 [寛史]

「そろそろ予算だな」議員会館内でよくその会話を聞くようになる。浪人中の政治活動しか知らない私にはどういった内容なのかよく把握できない。そんな心配をよそに先輩の茂木秘書から「今日から予算やるから、帰り遅くなるよ」とさらっと笑顔で言われる。前に現職の事務所にいた経験のある女性秘書の鈴木さんはそれを聞いて少しギクッとしたのを覚えている。
しかし地元でも帰りは遅かったし、休みもほとんど無かったので、内心、それ程気にはならなかった。
そして、その夜から東京事務所スタッフ3名による予算書類作成が始まった。 先ず、莫大な量の資料をそろえなければならない。地元に関するすべての事業に対して。昨年の予算額を調べ、今年の要求額を確認。国交省北海道局をはじめとする各事業の担当省庁を把握し、また、道や各市町村に問い合わせ、そして財務当局。 初めての作業に混乱し、やり直しをくりかえしながらも、ひとつひとつの事業をペーパーにまとめあげる。5時ちょうどで帰って行く他の事務所の秘書を横目で見ながら作業を続け、会館を出たのは午前2時を回っていた。

 

12月8日 [寛介]

「イラクへ自衛隊派遣」が党として決定されると兄から電話。そして翌日には閣議決定されるとの事。代議士の顔が思い浮かんできた。少し強く口を結び小さく肯いている代議士の顔が思い浮かんできた。

 

12月9日 [寛史]

16時の臨時閣議で「イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画」が決定された。その会見の中で小泉総理が憲法の前文を読み上げている。
その光景を見ながら何度も深くうなずく代議士。誰もが避けて通りたい問題に対して「決して逃げない」と意思表示する一人の政治家がそこにいた。

 

12月9日 [寛介]

小泉総理が「敬意と感謝の念を持って送り出していただきたい。」と発言したと兄から電話。
「親父の思い、解ってるな。」と指示を受ける。

 

12月11日 [寛史]

ほぼ毎日午前様。寸暇を惜しんで予算書作成作業を続ける。日中は来客や陳情団で作業がまったくできない。
昨夜、あることに気づいた。担当省庁の役人に夜中、電話をしても出る。そして問い合わせに真摯に対応してくれる。また、休日には出先からでも役所に戻ってファックスを送ってくれた。自分の中の「役人」に対するイメージが変わってゆく、そして自分自身、この作業をやる意味が少しずつわかってきた。

 

12月14日 [寛介]

旭川で「自衛隊のイラク派遣」に反対する労組や団体約2,000人が集会やデモ行進を行った。デモに先立ち開かれた集会では民主党副代表が、自衛隊第二師団前でも民主党現職代議士がマイクを持ち派遣反対を訴えたとの情報が入る。
代議士は言う。なぜ自衛隊の前であのような行動を行うのか。自衛隊員一人一人に責任はない。イラク派遣に反対であれば「イラク人道復興支援特措法に基づく対応措置に関する基本計画」を策定した国会や総理官邸で行うのが筋道でないか。あるいは国防部会長の自分の事務所に来ればいい。全国から興味本位 のマスコミを集めて騒ぎを大きくして、その結果、隊員やその家族に余計な不安を与える事になるのが何故わからないのか。単なるパフォーマンスのため、人の気持ちを踏みにじるのは許せないと。

 

12月16日 [寛史]

予算書類が出来上がった。2週間近く午前様で睡眠不足が続いていた。防衛庁や国交省等の役人からの予算レクチャーの合間を縫い、代議士に書類を基に地元予算の説明をする。あとは代議士の出番だ。
代議士が予算書類を手に財務省主計局へ。 かなり奮闘してきた模様。
「今日は早く帰ってゆっくり休め。」ぶっきらに言う代議士の目が優しかった。あとは内示の日を迎えるだけだ。

 

12月17日 [寛史]

夜、霞ヶ関へ足を運んだ。
省庁の庁舎は全ての部屋に明かりが灯っていた。
電話での問いかけでお世話になった方々に直接会ってお礼を言い、霞ヶ関を後にする。いったん永田町、議員会館へもどる。電気がついている事務所などほとんどない。これでは官僚主導って言われても文句を言えない。
つらい作業ではあったが、学ぶことは多かった。政治家も官僚も今「予算」という目的のために必死になっている。同じ目的を持ち同じ仕事量 をこなしさえすえば、ともに国を背負いふるさとを豊かにしていこうとする意思を共有して助け合って行くことが可能であるということ。そして、この事こそが代議士が常に言う「政治主導」政治の重みを増していく事につながっていくと。

 

12月22日 [寛介]

当選以来、次々に多くの市町村関係者、諸団体代表者の方が陳情書を持って、国会事務所のみならず、旭川事務所にも訪れていただく。また、一個人として要望をしにいらっしゃる方も多数いる。皆さんの気迫に押し負けそうになるくらいである。
せっかく日程を組んでも急を告げる状況のため、旭川に戻る予定が変更になりキャンセルになることもある。状況を説明し快く納得してくださり、私や、事務所長がお話を伺う。その都度、東京に正確に詳細に報告するのが地元を預かる我々の大きな役割だ。
いわゆる金帰火来で代議士が戻るたびに地元の状況を説明する。「イラク復興に関する、その後の市民の反応はどうだ?」閣議決定以来、抗議の電話はピタリと止んでいる事を説明する。

12月から東京では平成16年度財務省原案予算編成にとりかかっているようだった。 要望に対して出来る限りの結果を出す。それが選んでいただいた者の使命なのだと代議士から教えられていた。お世話になった方々への恩返し。充実の毎日だ、素晴らしい日々だ、と思っていた。
しかし、東京から次々に送られてくるメールは、長い事業の名前、非常に多い項目、それにより振り分けられた金額とパーセンテージの割合。あぁ、こんな事なら、もっと数学やら国語やら勉強しとけば良かった。自分を責める。長屋所長を見た。役所出身の所長は良く理解しているようだ。早速道庁等に連絡をとり、より細かい内容説明を求めている。所長の指示であかりさんが書類をつくっている。松倉さんは一心不乱に資料に目を通 し、重点要項の問い合わせを東京事務所にしている。みんなとても頼もしく思える。そう思ったら、お腹が痛くなってきました。

 

12月24日 [寛介]

大腸憩室炎という病気で一週間入院となってしまいました。
働きたくて、働きたくて仕方がなかった今津ひろし。バッヂが無いために仕事が出来ない辛さを何度となく味わってきた今津ひろし。その思いが今、ベッドの上にいる自分にはとてもよく理解できます。
今日、代議士は航空自衛隊小牧基地で行われたイラク派遣部隊編成完結式に出席。その式典後、見舞い方々連絡をくれました。
「お前の同級生がいたぞ、よろしく言ってたぞ。」
今、あいつはどんな気持ちなのだろうか。
「がんばれよ。そして無事で帰って来いよ。」心の中で祈った。
もし、自分だったら。妻、そして二人の子供の顔が脳裏に浮かんだ。
そして、自分は何ができるのかを自身に問いかけた。
とりあえずは病気を治そう。そしてまだまだ回りきれていないご支援を頂いた方のところに絶対お礼に行こう、働ける喜びと心から心からの感謝を携えて。