菅 直人 ― 評 ―

2010年7月

  
私は氏とは拠って立つ政治的立場も異なり、親しく話し合う機会も無かったのだけれども、どうしても忘れられない光景がある。
 
平成2年、イラクがクエートを侵略した湾岸戦争。日本も約130億円の支援をしたにもかかわらず、戦後、クエート政府が「二ユーヨークタイムス」に感謝の広告を載せた際、「JAPAN」の文字が無かった。
 
このことに大きなショックを受けたわが国は、
 

国際社会のために、現憲法の下で
 
 何をするべきなのか
 
 何ができるのか
 

当時、小沢一郎幹事長のもとに氏の熱い想いもあって、所謂、「小沢調査会」が創られた。
 
メンバーは各派閥から若手が選ばれ、「清和会」からは故中川昭一氏,「宏池会」から中谷元氏「河本派」から私、今津寛など、など。事務局長には,「経世会」の船田元氏。
 
夏休み返上での熱心な議論を経て、結論として、
 
「わが国も、一国平和主義から脱し、普通の国として、憲法前文の―わが国は国際社会に於いて、名誉ある地位を占めたいと思う―の精神に沿って、積極的に国際貢献に取り組むべき」―の意見を集約した。 
 

123国会
 

平成4年6月13日(土)、深夜、午前0時10分再開。
 
議会運営委員長、中西啓介氏の解任決議案での賛成討論に立ったのは、進歩民主連合副代表の菅直人氏。国連維持活動等協力法案(PKO法)の修正案の採決をめぐる攻防だった。
 
与えられた時間を大幅に超過し、村山善一副議長の再々の発言の中止の注意にも応ぜず、とうとう議長の「命令により降壇」を執行され、多数の衛視に抱えられても、なお必死に演台にしがみつく菅氏。議場内は騒然。
 
今でも鮮明に覚えている。
 
その後、後方支援、復興支援、国連平和維持活動、国際貢献、と、ペルシャ湾、カンボジア、モザンビーク、東テモール、ゴラン高原、イラク、ネパール、インド洋、ソマリア沖、などに武士道の精神を持った優しい自衛隊の皆さんの活躍には眼を見張るばかりで、世界から大きな評価を得ている
 
特に、イラクのサモーワに最初に派遣された第一次復興支援軍は北部方面隊、第2師団を主力で編成され、地元の経済界を中心に、全員の任務完遂、無事帰還を祈る、「黄色いハンカチ運動」が展開された。私も100人を超える超党派の議員連盟、「海外派遣自衛隊員を支援する国会議員の会」の代表世話人に就任、積極的に派遣隊員を支援をした。
 
一方菅氏は、拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙元死刑囚らの助命釈放嘆願書に署名し、「国旗及び国歌に関する法律」に反対している。また、総理就任の会見時にはこれからの日本を任う子供たちの教育について全く語っていない。
 
今までもそうであったように、これからも,氏の口からは、「わが国家である日本のために」と言うような表現は聞かれないであろう。
 
鳩山前総理は中国の習近平国家副主席の来日の際、天皇陛下に対しルールを曲げてお会いできるような配慮をした。
 
また、外国人地方参政権、人権侵害救済機関設置法案、選択的夫婦別性を伴う民法改正案などはいずれも民主党左派の悲願とみられる施策。さらに、仙谷官房長官は日韓基本条約と、それに伴う協定で解決済みの個人補償請求問題に言及した。
 

私は日本人は天皇制を重んじ、自分の生まれ育った故郷を愛し、家族を大切にする保守的な民族であろうと思います。
 
家族という絆や祖先を敬う伝統的な価値観は、今こそ護りぬかなければなりません。
 

総理、官房長官、与党幹事長がそろって「国旗国歌法」に反対し愛するべき「国家」に真正面から向き合うことの無い、今の政権は,遠からず国民の支持を失うだろう。
 
問題は,その時、自民党が、国民の皆様の「信」に耐えうる「新しい自民党」に成っているか、どうかだろう。