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7月28日幌延町〜天塩町〜遠別町〜初山別村〜苫前町
7月29日天売島〜焼尻島〜羽幌町
8月10日稚内市〜猿払村
8月11日稚内市〜豊富町〜浜頓別町
8月12日中頓別町〜枝幸町〜歌登町
8月26日小平町〜増毛町〜留萌市
8月30日礼文町〜利尻町〜利尻富士町
今津代議士が初めて衆議院選挙に初当選を果たした平成二年の真冬の選挙と、二期目の当選を果
たした平成五年の真夏の選挙は、旧北海道2区でありました。現在の北海道6区(上川管内)に留萌管内(9市町村)宗谷管内(10市町村)を加えた広大な選挙区から国政に送り出していただいたのです。その後、平成八年に小選挙区制に移行し、旭川市だけが選挙区になりました。現在の6区になり返り咲きを果
たすまでの間、旧選挙区の後援会の皆様がたに大変なご心配をおかけしてきました。
僕が事務所で働きだしたのはすでに浪人中の平成11年の2月からですが、そのときから、「次回の選挙で当選して、必ず旧選挙区の皆様にあいさつに行くんだ!」と力を込めていっていたし、代議士自身は平成8年からその思いを強く抱き続けていた。浪人中も挨拶に行くことは時間的にも可能だったが、かたくなにバッチをつけてから行くんだという意思の中に、選挙を勝ち抜くエネルギーにしてるのかのような、ある意味使命感のようなものを感じていた。平成12年の総選挙でも願いかなわなかったが、いよいよこの度その「時」がやってきた。
挨拶回りスタート初日、旧選挙区の土地勘がない僕は、代議士の作った日程に沿ってただ言われるがまま運転していた。「はい右、つぎ左、まっすぐ行って、はい右側の3件目の家でーす」すこし心弾んでいるようだ。そして9年ぶりに来たとは思えないほど道を覚えている。「お前も来い」車を降り小走りに玄関へ向かっている。一件目から僕は衝撃を受けた。涙を流しながら「おめでとう、大変だっただろう」とお迎えをしてくれ、代議士もただ「うん、うん」とだけ涙を流して答える。まるで9年前にタイムスリップしたかのように心が通
じ合っているのが分かる。かつて選挙を闘った戦友との再会に言葉はいらないようだ。一件一件時間をかけ丁寧にご挨拶をしながら回り、ご無沙汰のお詫びを申し上げると共に、当選のご報告をさせて頂きました。お亡くなりになっている方は仏前に謹んでお参りをさせて頂きました。各地で開催していただいた懇談会で代議士は、「今日までの間、皆様方の事を忘れたことは一度もありません。必ずやバッチをつけて皆さんに会いたかった」「ひろしさん、おかえりなさい。まってたよ・・・。」昔話に花が咲き、時間があっという間に過ぎてしまいました。この度の選挙でも皆さんがわざわざ旭川や上川まで足を運んでいただいて、知り合いの企業や親戚
友人に「今津を助けてやってくれ」とお願いをして頂いてた事、電話や手紙でお願いの連絡をしてくれていた事を聞きました。緑豊かな山々、厳しい浜風、凛とした空気。初めて衆議院総選挙に挑んだのが42歳。若い今津ひろしを今日まで育ててくれた皆さん。人の心のつながりの大切さに改めて感動するとともに、こんなにも多くの人に愛される代議士は本当に幸せ者だなと思う。
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