プロフィール

ごあいさつ

profile_001皆様、こんにちは。今津ひろしです。
このたびは、私の公式ウェブサイトを訪問してくださり、ありがとうございます。

国民生活も、産業活動も、あらゆる分野でインターネットが深く浸透する時代となりました。国民の皆様に政治を身近に感じていただくためにも、国政の第一線に立つ私たち国会議員が、インターネットをコミュニケーション手段として活用し、国会と地域の皆様の距離を縮めていくことこそ、重要な責務だと感じております。その意味で、2013年度夏のネット選挙解禁は、中央・地方を問わず、すべての政治家にとって一つの節目となりました。

この責務を実践していくためにも、2014年の年初、本サイトの全面リニューアルに踏み切りました。その際、自分の思いや活動が、これまで本当に皆様に伝わってきただろうか? ということを改めて考えさせられました。政治家として、北海道、日本各地を駆け回り、一生懸命頑張っている、とお伝えしているつもりでした。

でも、それは私個人の独りよがりになってはいないだろうか? 一方通行の情報発信であるならば、本当の意味でのコミュニケーションではないと思います。

新しくリニューアルした本サイトや公式 SNS チャンネルでは、北海道、日本各地、世界中のどこからでも、リアルタイムで私の生の声をお届けしたいと思います。若い頃からインターネットや IT に接した経験のない世代にとっては、高いハードルです。しかし、事務所スタッフの助力や皆様のお力により、恐れずに新しいことにチャレンジしていこう、と思います。活動報告や事務所 Facebook ページ等も含め、積極的に更新していきますので、定期的にご覧いただければ幸いです。

そして、私を選んでくださった北海道・上川管内の皆様や、全国民の皆様には、それぞれ政治に対して何を思い、何を期待しておられるのか、ぜひともご意見をお寄せいただきたいと思います。そのためにも、本サイトを皆様の意見発信の場として活用していただきたい、と心から願っております。公式メールアドレスや Facebook、Twitter を通して、お気軽にご意見やご感想をお送りください。私どもにとって大きな励みとなるとともに、皆様の声を直にお伺いする貴重な機会となります。地域の皆様、国民の皆様との密接な関係を築くためにも、皆様のご意見に謙虚に耳を傾け、政治家としての使命と責任を全うしていきたいと思います。

今後とも、応援よろしくお願いいたします。

今津ひろし

基本情報

■生年月日
1946年(昭和21年)9月30日
■出身地
北海道旭川市
■出身校
中央大学法学部
■家族構成
妻・長女・長男・次男・孫8人(4男4女)
■趣味
読書、映画鑑賞、愛犬アトムとの散歩
profile_002■好きな食べ物
カレー、ラーメン、お寿司
■愛読書
『竜馬がゆく』(司馬遼太郎著)
■尊敬する人物
両親・吉田松陰
■好きな言葉
「身はたとえ 武蔵の野辺に朽ちぬとも
留めおかまし 大和魂」
(吉田松陰 辞世の句)
■講演と文化活動
出身校(中央大学、旭川西校)同窓会、
若手政治家セミナー等で、国家安全保障、
領土問題等のテーマについて、要請に応じて
講演を行う。
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略歴

■1975年(昭和50年)
旭川市議会議員選挙で当選、以後2期
(当時最年少)
■1983年(昭和58年)
北海道議会議員選挙で当選、以後2期
(当時最年少)
■1990年(平成2年)
衆議院議員総選挙に初当選(現在7期)

主な経歴

内閣

防衛庁副長官

衆議院

安全保障委員長、予算委理事、内閣委理事、イラク特委理事、沖北特委理事

自由民主党

総務副会長、副幹事長、国対副委員長、国防部会長、北海道開発特別委員長、
道連会長

現職

  衆議院

外務委員会委員、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会委員、情報監視審査会委員

 

  自由民主党

代議士会副会長、安全保障調査会長、北海道総合振興特別委員会委員長、宇宙・海洋開発特別委員会会長代理、宇宙総合戦略小委員会委員長、成年年齢に関する特別委員会委員長、農林・食料戦略調査会副会長、党・政治制度改革実行本部幹事、地方創生実行統合本部常任幹事、国土強靭化推進本部副本部長、道州制推進本部本部長代行、過疎対策特別委員会副委員長、中小企業・小規模事業者政策調査会副会長、観光立国調査会副会長、整備新幹線等鉄道調査会副会長、党紀委員会委員、北海道第6選挙区支部長
平成研究会 事務総長

 

平成研究会  事務総長
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プロフィール

私、今津ひろしは、1946年(昭和21年)、魚屋・今津商店を営む今津秀市・チヨノ夫妻の五男坊として旭川市に生まれました。戦後の北海道は物資も乏しく、厳しい大自然の中での暮らしは決して楽とは言えないものでしたが、懸命に働く父の姿から威厳を、母の温もりから愛を感じながら育ちました。私の心の原点は、この幼い日々に培われた「庶民の心」であると思っています。
旭川市立日新小学校、旭川市立北都中学校を経て、北海道立旭川西高等学校に入学、野球部に在籍しました。高校を卒業後、一浪して中央大学法学部に入学。応援団副団長、全日本学生應援團連盟副委員長も務めるとともに、当時真っ盛りであった学生運動と相対し、学内の健全化に努めました。

この頃、旧北海道2区選出の衆議院議員・松浦周太郎先生(故人)の門を叩きました。「信なくば立たず」という先生の教えのもと、書生として政治を学ぶ中で、「政治家になって、故郷の人々の暮らしを守り、国の為に身を捧げたい」という思いが募り始めていました。大学を卒業した私は、故郷の旭川に戻り、旭川市長候補であった森山元一氏の秘書を務めました。そして1975年(昭和50年)、旭川市会議員選挙に出馬、「旭川の一心太助」をキャッチフレーズに掲げ、当時最年少の28歳で初当選。政治家としての第一歩を踏み出しました。

旭川市議を2期務めた後、1983年(昭和58年)、北海道議会議員選挙に無所属で出馬し、「時は今」をキャッチフレーズに、最年少の36歳で当選。以後2期を務めました。当時の革新道政に対して、エネルギー問題、冬季オリンピック誘致等の課題に真っ向から取り組みました。

profile_0051990年(平成2年)、故・川田政則先生の後継者として指名され、「つらぬきます 愛の政治」「一生懸命」の二本柱を掲げ、衆議院選挙戦を戦うことになりました。そして、中選挙区(第2区)の支援者の皆様による燃えるような後押しを受け、43歳で初当選を果たしました。

一年生議員の私の心に強く残ったのは、所属会派でお世話になっていた故・河本敏夫先生(元通産相)から頂いた、「政治家として一番恥ずべきことは、自分のしたことに対し、ぐずぐず言い訳をすることだ」という言葉です。身の引き締まる思いがしました。一生、この言葉を肝に命じて生きていこう——そう決意しました。

1992年(平成4年)にPKO協力法案が成立した際は、自衛隊の派遣準備のために現地を視察する等、具体的な国際協力の実現に向けて尽力しました。その際、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)監視下の選挙監視団にUNV(国連ボランティア)として活動していた中田厚仁君との、忘れられない出会いがありました。中田君はUNV活動中にポルポト派の凶弾に倒れ、25歳の若さで亡くなりましたが、私はいつも、「中田君に対して恥ずかしくない言動をしているだろうか?」を自分自身に問い続けています(詳しくは 私は果たす「故・中田君との誓い」 を参照)。

1994年(平成6年)には、社会党との連立政権実現という首班命令に対し、海部元総理と共に自民党を離党して新進党の結成に参加。1996年(平成8年)の総選挙を前に、地元経済界を始めとする皆様からの強い要望もあり、自民党総理が実現したことを受け、復党しました。

profile_006衆議院議員初当選から今日に至るまで、幾度も苦しい時期を経験しましたが、地元の皆様にお支えいただき、当選7期に至りました。中央では安全保障、領土問題をライフワークとして、平和で安心な国づくりに向けて努力する一方、北海道においては、北海道開発、農林水産業、地域医療、教育、エネルギー、アイヌ政策等の諸課題に対し、自民党道連の中心的存在として活動しております。

「宿命に生まれ 運命に挑み 使命に燃ゆる」。議員になりたてのころ、海部元総理から頂いたこのお言葉を胸に、国民、道民の皆様の幸せのため、課せられた責務を全うしていきたいと思います。

衆議院議員 今津ひろし

選挙区(北海道第6区)のご案内

今津ひろしが拠点を置く北海道第6区は、1994年の公職選挙法改正で衆議院小選挙区の区割りが改訂されたことにより設置され、2002年より北海道上川支庁管内をその区域としています。

冬の寒さは厳しいながらも、豊かな自然が育む海の幸、山の幸に恵まれ、地域の皆様の努力により自治体ごとに特色ある町づくりが行われ、魅力ある地域特性が培われている、それが北海道6区です。今津ひろしが生まれ育った故郷・旭川はもとより、第6区を構成する4市16町2村に在住の皆様を代表して、国政の場に立たせていただけることは本当に嬉しく、また光栄なことです。ご支援くださる皆様の思いに応えさせていただきたく、精一杯頑張らせていただきたいと思います。

 

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